わが運命は君の掌中にあり





 花は散るどころか毟り取られ、踏み潰された。



 「勿体無い」



 白蘭の前に坐る黒髪の女、は、彼の様子にひとつ、息を吐く。「折角取り寄せてやった花だというのに、」と、そう付け足した。呆れた様なその声色からも、彼女の心情が読み取れる。白蘭はどうやら聞く耳を持っていない様だ。毟り取ろうとした手を引っ込めて、どこか気だるそうにソファへと腰掛ける。今日は些か機嫌が宜しく無いらしい。仕事柄昔のよしみであるは、やれやれ、とでもいったように肩を竦めた。この男が機嫌が悪い時ほど面倒なことと云ったら無い。寧ろ機嫌を損ねたいのは彼女の方である。彼がどうしてもと云うものだから、わざわざ真っ赤な椿を、しかも希少種のものを取り寄せたというのに、この有様なのだから。
 彼が現在不機嫌に至っている経緯は、今パフィオペディラムに訪れたが知る筈も無いのだが、大方計画通りに事が進まなかったのだろう、というのが彼女の予想だ。基本的に白蘭はどこか完璧主義なところがある。事を進めるのも上手く、策略家だ。おまけに自分主義者である。だからこそ、稀に自分の思い通りにならない時は相当にご機嫌斜めになるのだ。

 そもそも、どこからどう見ても完全な日本人であるが、現在イタリアンマフィアの中でも勢力を付けているファミリーのドンである白蘭と知り合いなのか。答えは簡単だ。彼女も《そういう筋》の人間だからだ。とは云っても、彼女の場合は極道の人間であってマフィアでは無いのだが。
 の実家は相当昔からある名家というやつで、華道の家元であるのだが、それは表向きの話である。実際は「組」というその筋の人間でその名前は知らない者は居ないと云わしめるほどの組織なのだ。彼女は女だてらにやり手だと評判らしい。その結果、幸か不幸か、当時はジェッソファミリーと名乗る彼と交友を持つ羽目になったというわけである。ミルフィオーレの中では、「唯一白蘭様と対等に話せる人間」と噂をされている。彼女自身も、それなりにその状況を楽しんでいるらしかった。どうやら性格は割りと白蘭に似ている部分がある様だ。
 そんな彼女だからこそ、白蘭と長く友人をやれているのかもしれない。

 さて、状況は変わらずで、白蘭は相変わらず不機嫌オーラを漂わせていた。「餓鬼かこいつは」とはただ呆れるしか無い。



「ぶすくれている暇があるなら、部下に指示なりなんなり出せばどうだい」
「うちの部下は皆優秀だから各自で仕事をちゃんとこなしてるよ」
「ちゃんとこなして無いからお前が今現在そうなっているんだろうが莫迦者」



 どうやら彼女の予想は当たっていた様だ。あちらこちらに跳ねている髪をくるくると弄る指先が一瞬だけ止まった。はまた小さく息を吐く。「お前の機嫌で花を無駄にされてはたまったものじゃあ無いんだよ」



「ヒトの殺生については何も云わないが、花を殺すのは止めてくれないか」



 目を細めてゆるりと首を傾ける。それは静かな動作だ。一般人が聞けば「そういう問題では無いだろう」と突っ込みを入れたくなる話なのだが、生憎彼女の思考回路は一般向けでは無いらしい。にとって他人の命よりも花の命の方が大事なのだ。無論、白蘭はそういう奇妙な彼女の思考回路を気に入っている。
 一度彼女に神又は御仏の存在を信じるかと白蘭が問うた事があったのだが、その時の返答も大変可笑しなものだった。《わたしは目に見えない物は信じない主義なんだよ》と、此処までは良い。けれど彼女は更に続けた。《けど、河童とか魑魅魍魎の類は信じるよ、楽しそうだし》 そう云ってさっさかおやすみ3秒だった。さすがの白蘭も全く予想だに出来なかった答えで、思わず笑いしか出なかった。それほど彼女はぶっ飛んでいる思考回路の持ち主なのだ。「1か2か」と問えば「3」と答えるだろうし、「右か左か」と問えば「真中」と答えるだろう。
 白蘭はそんなことを考えている間にすっかりどうでも良くなった様で、今度はごろんと横になった。左手の指にはマシュマロがしっかりと挟んであった。折角なので、何かを彼女に問うてみようか。「ねぇ、



は、ヒトと花、どっちが好きなの?」
 寝転がったままの体勢で頬杖をつく。心情が読み取れぬような笑みを浮かべて、白蘭はどこかわざとらしくこてん、と首を傾いだ。は一瞬だけ怪訝そうな顔をしたが、ふっと小さく笑った。「お前はどういう答えをわたしに望んでいるのかな」



「質問返しされてもなァ」
「別に、どちらも好きでは無いさ」



 やはり予想だにしない答えが返ってきた。同時に、興味を惹く答えである。「って色々と矛盾してるよね」と、白蘭は声に出して笑う。



「そうかもしれないな」



 白蘭の笑いにつられるようにしても静かに笑う。そして再度口を開いた。「けれど――」



「好きと嫌いは紙一重さ、常にね」



 かちり、と丁度時刻は正午をさしていた。「半分分かるけど半分分からないや」
 は、そうだろうな、とでも云う様に何も云わずに笑う。昔からそうだ。彼女は返事をする代わりにこうやって無駄無く奇麗に笑うのだ。けれどそれでいて気取らない、そういう雰囲気を出していた。
 あぁ、そうか、そういうことか。白蘭は一人、納得した。椿の花を見たときに感じたものだ。どこか見覚えのあるような、何となく見慣れたような。



って椿っぽいよね」
「それは、花言葉を知っていて云ってくれているのかな?」
「勿論さ」
「お前はその椿をさっき大分ぞんざいに扱ってくれていたが、」



 つり目がちなの両目が白蘭を捕らえる。「またそのうち機嫌が悪くなったらわたしをも殺してしまうつもりか?」
 その声色は慈しみを含んでいる様だった。



「どうだろう、は大事な大事なお友達だから」
「よく云う。散々わたしを利用しているくせに」
「それはお互い様だよ」



 白蘭は頬杖を止めて、天井を見上げるようにして仰向けになった。



だって僕を利用してる」
 そうしてマシュマロをひとつ口へと放り込む。は「あぁ、それは失敬」と先ほどの白蘭のように声に出して笑った。そして今度は、白蘭が予想だにしない言葉を云う番である。「僕のこと愛してるでしょ?」

 けれど彼女は驚くことなく、相変わらず笑みを浮かべたままやんわりと首を振った。いいや、それは大分勘違いしているよ、と肩を揺らして、いやに凛とした声で告げた。



「寧ろ早く死ねば良いのにと思っている」



 それは酷く甘い言葉だった。
 バニラの匂いが充満した部屋は、まるでアロマオイルを大量に零した様だ。白蘭はゆっくりと起き上がればの元へと歩み寄って、彼女のしなやかな手を取って、手の甲に口付ける。そうして先ほどの彼女の愛を含む言葉に同じように愛を含む言葉を返す。「奇遇だね、僕も同じことを思ってたよ」
 踏み潰された椿は二人を嘲笑う様にただそこで沈黙していた。





inserted by FC2 system